そりゃこの歳まで生きてりゃ色んな記憶が潜在領域にあるわけで、寝言で違う女性の名前言っちゃったときは「誰のその女!(泣)(怒)」ではなく「あなたの潜在領域はすぐに私がいただくわ(ニッコリ)」くらいを言われたいよ私は
こじらせてる女子は、私はすごくいいと思ってるんです。性根がねじれてて「自分がこじらせてるのは社会が悪い」と怒りを誰かにぶつけたりしている人は、こじらせてるんじゃなくて単に性格が悪いと思うんですよ。まともにこじらせてる人は、だいたいちゃんとしてるんですよね。働いてるし、見た目もひどくないし。じゃあなにがこじらせてるのかというと、内省的なんですよね。自分に対して厳しいというか。「私はここがダメだから」とか「私なんかこんなんじゃダメ」とか、謙虚が度を超した状態の人が多いと思うんです。度を超さなければ、「私なんか」というのは控えめだと見えるし、単なるいい人じゃないですか。
こじらせてる女子は、男子の目から見てどう映るかはわからないけど、同性から見るとすごくかわいい人が多いんですよね。
こじらせてる女子は、男子の目から見てどう映るかはわからないけど、同性から見るとすごくかわいい人が多いんですよね。
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| — | 峰なゆか×雨宮まみ「こじらせ女子 総決起集会!!」 | ポット出版 (via mitaimon) |
他人をモノだと思っている人は他人に恐れを持たず、まして気後れもせず、なにより好きになるという弱みを持つことがないので、自分のふるまいをきわめて精密にコントロールすることができる。それがまたある種の魅力のもとにもなっちゃったりするんだよね。ああ恐ろしや恐ろしや。
できるならやるというその打算が人を夢中から冷めさせる。手法は打算的に効率的になってもいい。ただ最も深い部分の何故やるかという所が打算的だと、結局何もやりきらない人生になる。何かにひたむきに挑む。その過程が報酬化すれば人は歩みを止めなくなる。
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| — | 為末大onTwitter |
大したことではないのかもしれない。酒にまみれた私の日常が次のステップに向かって見せているいろんな「心のこり」のイメージが春の形をしているのかもしれない。今夜もすでにワインを2本明けてしまって、視界がぼんやりしてきた。
また朝になってゼロになるまで、無限に移るこの夜景のにじむ感じがこんなも美しいのを楽しんでいることが出来るなら、人の胸に必ずあるどうしようもない心のこりはその彩りにすぎなくても、全然構わない気がした。
また朝になってゼロになるまで、無限に移るこの夜景のにじむ感じがこんなも美しいのを楽しんでいることが出来るなら、人の胸に必ずあるどうしようもない心のこりはその彩りにすぎなくても、全然構わない気がした。
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文ちゃん 吉本ばなな「白河夜船」 |
ねぇ、毬江。私たちのこの一年間は不思議だったよ。人生の流れの中で、ここだけ空間も、速度も違う。閉ざされていて、とても静かだった。あとで振り返ってみたら、きっと、独特の色に見える、ひとかたまりの。
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芝美 吉本ばなな「白河夜船」 |
会って話してよ、関係ってそれしかないよ、メールは嘘、電話は嘘、インターネットはもっと嘘。インターネットにあるのはぜんぶ、コンテンツだ。人はいない。私もいない。
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see/pass you again: (via taizooo)
2011-12-01 (via gkojax-text) |
私の目の光を消してください、私はあなたを見るでしょう、
私の耳をふだいでください、私はあなたを聞くでしょう、
足がなくても私はあなたのところへ行くでしょう、
口がなくても私はあなたを呼び出します。
私の腕を折ってください、私はあなたを抱きとめます、私の心臓で手のように。
私の心臓をとめてください、私の脳髄が脈打つでしょう、
私の脳を燃やしてしまっても私は血の流れにあなたを浮かべていくでしょう。via Rainer Maria Rilke
そもそも私はビジネスというものをこう考える。
・自分自身の一生をデザインするもの
・揺るぎない意志力で勝ち取るもの
・自分自身を自立させるもの
・「今、この瞬間を生きている」醍醐味を感じさせるもの
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| — | ? |
孤独でいなさい、リズ。孤独を詳しく調べて、孤独の地図を描きなさい。そして孤独と親しむの。人生で一度くらいは、人として大切なこの経験を喜んで受け入れなさい。もう二度と、他人の肉体や感情を自分の満たされない思いの爪研ぎ柱として用いるようなことはしないで…。
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| — | 「Eat,Pray,Love」エリザベス・ギルバート |
食べものや飲みものや、ひどく個人的な感覚のうちにとどまるものを、本当においしそうに、読み手に唾を飲み込ませるように書く作家は、無条件に信用してしまう。それが実際のところ、おいしいのかはべつにして、言葉でにおいを嗅がせ言葉で舌をうならせ言葉で空腹を満たすと言うのは至極難しいことで、それが成功すれば、文字の向こう側の飲食物は、小説そのものより忘れられない、強力な逸品になる。
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| — | 角田光代/ユリイカ2000年3月発売「総特集・村上春樹を読む」より |
いっぱい書ける、いくらでも書けるということは、いっぱい思ういっぱい考えるということがあるからこそできることなので、いっぱい思うということは、普通に生きている人にはとてもむつかしいことなのだ。いっぱい思うをくり返していると、たぶん、自分ひとりでもっといっぱい思うのが無理になってくるだろう。そうすると、他の人のぶんまで思うようになる。自分の頭のなかに他の人を住まわせるようになってくるのだろうと、ぼくは想像する。
他の人のいっぱいいる頭のなかというのは、世界というものにどんどん似てくるだろう。村上くんは、自分の頭のなかに、どんどん、いままでいなかったタイプの他人を連れてきて、驚きながら住まわせるようになってきているようだ。
年をひとつとるごとに、大きな事件をひとつ知るごとに、頭のなかに住まわせる人や、そういう人の思いの数が増えて溢れていく。世界中をいっぺんに描いてしまうような小説が、村上くんの頭のなかには、できあがりかけているのだろうか。
作家というのが、そういう人のことをいうのだとしたら、なんだかとてもよくわかるような気がする。それは、ただ、たいへんだ。
他の人のいっぱいいる頭のなかというのは、世界というものにどんどん似てくるだろう。村上くんは、自分の頭のなかに、どんどん、いままでいなかったタイプの他人を連れてきて、驚きながら住まわせるようになってきているようだ。
年をひとつとるごとに、大きな事件をひとつ知るごとに、頭のなかに住まわせる人や、そういう人の思いの数が増えて溢れていく。世界中をいっぺんに描いてしまうような小説が、村上くんの頭のなかには、できあがりかけているのだろうか。
作家というのが、そういう人のことをいうのだとしたら、なんだかとてもよくわかるような気がする。それは、ただ、たいへんだ。
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| — | 糸井重里/ユリイカ2000年3月発売「総特集・村上春樹を読む」より |